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taipei [旅の写真]

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2010-08-05

暑い。とにかく暑い。風のよく通る窓の開け方の組み合わせを考える。
こどもたちはエアコンがついていない状況(というか方針)について、
世間一般との不公平感を訴えるまでには成長が至っていないため、
今も文句をいわずに(すやすやとは言えずも)眠っている。
寝室には扇風機を二台配置している。
それらの振動の具合といったら、特に引き込みの作用が働くというわけでもなく、
お互いが独立に決まったテンポを維持している。

三ヶ月くらい前から、とにかく、ごこうに癒され続けている。
癒しなんてものは、自分には無縁の作用だと若い頃は常々思っていたが、
ごこうが放つそのとびきりに脱力の仕草諸々に対して、
世間で手垢にまみれた言葉として流通している「癒し」を当て嵌めないで、
はて、いかなる言葉が適当だろうかと熟考するも、
いやまて、熟考こそが癒しの最大の敵ではないか、と、
素直に癒しに身を委ねることにする。
いちわのその頃は、癒しというよりは、
「いちわはいちわ」としか言いようの無い類いの、
それはそれで強烈な雰囲気だったのだけれど。

小学校時代からの旧友が、
終身雇用制を日本から排除すべき悪習だとして、
20歳ぐらいから散々私にプチ演説をかまし続けた、その効果もあってか、
私も永らくその意見に賛同していた。
25歳くらいの頃、私が別の大学院を受験する頃、
もう就職先が決まっている友達のI君にその事を言ったら、
普段控えめな彼が「えー、終身雇用制は素晴らしいですよ」と
極めて自信満々に返してきたのが印象的だったのだけれど、
最近、次の職場を考えている中で、そのときのことを思い出した。
何と言うか、そのとき、私は完全に圧されてしまった感があった。
私が最近感じているのは、
発展とか競争の上で戯れる人たちが、
そこから離脱している人に何かしら差別意識あるいは優越感を持つのは大きなお世話だということで、
不完全な社会の枠組みの中では、どちらの生き方にもそれなりに強い根拠があるだろうし、
どちらか一方だけでは、(おそらくは)社会は安定性を維持できない。
そういった土俵以前の問題として、
個人としての生き方を考えるときに、
「社会システムの健全性についての配慮が欠けている」なんて嫌みを言われたら、
その選択に命をかけている人にとっては(もちろんかけてない人も)、
立腹の一つや二つやらでは収まりのつかない嫌な気分でいっぱいになるだろう。
それは、おそらくは、個人が社会の一つの駒のように扱われてしまっている、
それが立脚している科学的とされる社会のとらえ方に対して向けられている。
個々人のシステムの中には既に広大な奥行きが存在するわけだから、
彼らの選択には、(たとえそれを十分に言語化できなかったとしても)、
そのシステムの中で強い妥当性があるはずで、
その「一種の自然」を尊重しましょう。
と最近考えています。
デザイナーと、その内部の個々人の選択の問題は切り分けて考えなければならない。

こどもを持つようになると、
虐待のニュースを以前のように流し見することができなくなってしまい、
じぶんのこどもと重ねてひどく感情が揺さぶられるようになる。
彼女も、彼女のシステムの中の、「一種の自然」の結果、
あのような恐ろしい現実を野放しにしてしまった。
とても信じたくはないが、真実である。
こうして強く揺さぶられた感情を鎮めるための特効の「語り」のようなものを探している。
たとえ、彼女に強い憤りを覚えたとしても、
今後、自責の念に駆られて誰よりも苦しまなくてはならないのが彼女自身かもしれないことを思えば、
それだって空しくなってしまう。
私は、一応、「天国」とか「生まれ変わる」とか、そういう言葉に強いリアリティーを覚える。
実在するとかしないとか、そういうレベルの話ではなくて、
なんというか、「こどもたちは今も生き続けている」と唱えることに何かが宿るような気がして。
その何か、ってのも実在するとかしないとか、そういうレベルの話ではなくて。
こうした感覚を表現するのに、言語とか論理とかは向いていないのだとつくづく。

98年のフジロックの映像を見ていたら、
18歳の幼き私が、倒れている人を起こしています。
チバ氏に言われるがままに。
http://www.youtube.com/watch?v=tWHNNLRVZDM

2010-06-15

はっ、
ワールドカップを見逃したぞ。

2010-03-13

先日のバグの件は、さらなる同型的なバグによる副作用であることが、今日の16時頃判明した。う〜ん、浅い。

例のイベントのトラウマのせいで、
はっぴいえんどを全く聴けていなかったのだけれど、
衣が寝る時の子守唄に、
いつもいつもトータス(タラララ〜ん、ターンターンターンターーーン、、)とか
モールスとか(トイプ〜ドル、かわいい)を歌ってるのもつらいし、
空中キャンプの1、2、4、8曲目は何といっても最後の切り札だもんで、
もっと、何か、こう、ニュートラルなものが欲しいな、というときに、
無性に、「風をあつめて」が歌いたくなってきてしまった。

それで久しぶりに聴いた。
あぁ、こんないい曲を聴けないで何年も過ごすなんて、いろいろな意味で損失だ。
ということで、これからは大人になろうと思う。

2010-03-10

ここのところ、GAを使ってシミュレーションをしている。昨日、明らかなるバグを発見し修正をかけると、それまで上手くいっていたはずの学習がダメになってしまった。その後、どうやら、バグによって与えられたある種の(シナプスの結合重みの)制約が、学習の成功に寄与していたらしいことがわかってきた。色々な意味で、たまらない。

4人の生活が始まりました。

今シーズンの浅田真央の不調の原因は身の丈に合っていないフリーの選曲と衣装だとずっと思っていたけれど、競技終了後の記事で、そんな小言はさんざん外野から耳に入っていたうえで、「まだ一度も納得いく状態に持っていっていないから」というような理由で、ここまで同じ曲を演じ続けてきたというエピソードを読んで、ただ勝つということだけでない、生きるということの重みに改めて感じ入った。同じく、点数が出た後に、キスアンドクライで言葉を失い続ける様子が、テレビという場にあまりにそぐわなくて、その時間の重さにも強く感じ入ってしまっていた。私的な文脈に寄り添うべきとき、それがいかに公の場でも、ある種の繊細さでもって寄り添える才能。私がオリンピックで印象に残っているところなんて、何でだろうか、だいたいそういうところばっかりだな。
http://ge-diary.blog.so-net.ne.jp/2008-08-19(前回のオリンピック)



ところで

上村愛子氏の、スタートラインに立った時の、ありとあらゆる責任を個人的な文脈の中に引き受けたかのような、動物的で人間的な強い表情に、私の涙腺は、危ういことになってしまった。

それにひきかえ、

昨日テレビで見た(国母選手に対する)小谷実可子さんの反応にはとことん引いたよ。あーいうの見ちゃうと(三宅さん含め)、ヒトラー的状況はどうやったって乗り越えられるものじゃないということがわかる。

箇条書き

・社会にコミットしていくのであれば、やっぱりテレビは見ておく必要があるな、と思う。
・社会にコミットしていく、というのは、例えば、給料を公的機関から頂く、ということでもある。
・研究を度外視して、自分の好みの実装をしよう、と思い、昨日から、色々とすすめている。
・研究を度外視して、ビークルにRNNをあて、GAで学習させようとしている。
・テレビをつけると、いちいち文句ばかりがついて出る。
・やはりテレビはつけない方がいいのかもしれない。
・朝青龍を度々非難する品格者やくみつるさんが、海外にまで出向いて朝青龍を追い回す出演番組のスタッフに対して何も言わないというのは、どうにも不公平じゃないだろうか。
・不公平だよなぁ。

別にこれは皮肉ではない。

昨日無事博士合格の報を受ける。

前打ち合わせ1(9月)、前打ち合わせ2(11月)、判定会(11月)、教室説明会(11月)、読み合わせ1(12月)、読み合わせ2(1月)、公聴会(1月)

この間提出物(修正書類含)多数。

並行して、成果報告会の運営、セミナーで発表、国内会議、出産など。
国際会議がなかっただけ、ましだったのかも。

ラーメンだけをモチベーションにして4回の乗り換えを経て高田馬場に向かい、
合計8回の乗り換えを経て各務原へと帰路につく。その繰り返し。
正直、こんなに色々な行程を踏む必要があるとは思っていなかった。
論文だって、好きに書いて誰もチェックせずにそれで終わりだと思っていた。
大学によっては、そういったケースがあることも話には聞いている。
でもそうではなかった。

そういった、一つ一つ扉を開いていく形式が、神話的であることについて。

儀式の儀式性というのは、冗長性にこそあるのだと思う。
冗長性こそが儀式性を高める機能なのだと思う。

何度もご足労頂いた先生方には感謝しています。

21か22のころ、大学院という概念に触れた。
大学院に入るか入る前くらいに、修士と博士の違いを知った。
ハカセというのは、科学者に対する親しみを込めた相性だと思っていた。
ドクターというのは、ずっと医者のことだと思っていた。
それらは、部分的には正しいが、やはり、部分的でしかあり得ない。

こんなことだから、ドクターを目指して戦略的に研究生活をすすめる、などということはあり得なかった。
巡り巡ってこういう境遇に至った、その巡り合わせの妙に感謝しています。

などと書いているうちに、
これは実は実にめでたいことなのではないか、という気がしてきた。
それは、繰り返すが、博士というものが究極の形式である故に。

『肩書きの裏にあるコンテンツを度外視して、その肩書きの威光に没入できるが故に』

別にこれは皮肉ではない。
一昔前の自分であったらこれは皮肉であったのかもしれないが。
最近、こうした言葉を皮肉として感じるタイプの人(かつての自分)と、反りの合わない状況が続いている。

情報系であろうが、機械系であろうが、脳科学であろうが、遺伝子工学であろうが、文化人類学のフィールドワークであろうが、美術史であろうが、メディアアートであろうが、数学であろうが、博士と呼ばれる同一の尺度があてがわれる。その極めて優れた抽象性と普遍性から析出してくる『超意味』とでもいうようなものがコミュニケーション幻想に栄養を供給し続けているという事実に。

最近東浩紀氏のtwitterをチェックしていて、コミュニケーションという概念とコンテンツという概念が対立的に扱われていることを知った。う〜ん、なるほど。その斬新な視点のもたらす差異の豊潤さ故に、久しぶりに、停滞していた私の思考回路が駆動をしている。

コンテンツに対するコミュニケーションの優位性について深く考えていくことは、同時に、意味に対する形式の優位性(あるいは階層的深層性)について考えることにつながるのかもしれない、とか。その辺りのことを。

カレーを大量に作ってしまったから、今週はずっとカレーです。

おそらく、私の側の諸々全行程が先日一段落したところで、

久しぶりに手紙というか出産報告的なハガキを書いた。
テキストを含んだ写真を下地にして、空いているところに、
一人一人にコメントを書いていく作業って、
楽しいですね。以外と。

小学校の頃は年賀状書くの好きだったもんな。
郵送しないと誤配の可能性も無いわけだから。

みんなの住所を登録する作業も(30にして初めて)してみたし、
これからは多少バラマキを指向してみよう、なんて。

しかし、一生のうちでそんなに手紙を書く機会なんてあるものだろうか。


突然後ろから挨拶されるような、前振りも無く届けられる手紙とかメールとか贈り物って、何だか胸の奥に突き刺さるしね、そういう感受性を持たれている方は、たいてい日常的なコミュニケーションにおける間合いに関しても、頗る洗練されている。


ところで、最近、歌詞集を購入した。

『赤いボートにあたって揺れた
 木の枝のような手紙を君が書いたらいいな
 僕に届けば』

(線を引けたら)
「モールス歌詞集1997-2007」酒井泰明

備忘録

出生後15日目の本日無事出生届を出した。
とにかくあんたの名前を決めるのに本当に時間がかかったのだよ。

土曜日の夜に一旦決まって、
日曜になってまこがウジウジ言い始めて、
月曜になって市役所にて電話で一時間会議、
提出。

プロフェッショナルという(司会者の役割がよくわからない)番組で、
(殊に魅力的な)移植外科医が31時間もほとんど休み無く手術しているのを見て、
(さっきまた再放送を見てしまった)
自分のケツをもっと強くたたかないとと思うようになった。

やることがいっぱいあるけれどさぁ、
その気になればそんなにたいした量じゃないだろう。
2月になったら色んなことが済んだら、
どっかに遊びにいきたいな。

男の子の名前は、
女の子の名前と違って、
語感だけで決めてはダメだという合意から、
漢字ベースで攻めて行ったら泥沼にはまってしまったのだ。
最終的には何か名前らしきものが前振りも無く突然降ってきたものだから、
それを使うことにした。

名前は、決めるものではなくて、決まるもの。

つげ義春的な備忘録

9日
大げんか、東公園で猫象猿馬駱駝、倍音、郵便局の駐車場で車の後部ガラス大破(このとき続いて起こるであろうことをマコと確信)、交番に向かう途中二輪車の事故現場に遭遇し救急車の応対や通行整理など。就寝。
10日
朝から確信からは程遠い不規則な陣痛、ホームセンターでおじさんに抱かれていた子猫が耳元で超弩級のシャウト、サッチモ前で黒づくめの交通整理人、昼飯にカレーうどん鍋を食べた後に後部ガラスの大破した例の車で病院へ、そのまま入院、カメラをとりに一旦車で戻る途中サッチモ近くの坂の対向レーンの真ん中を一匹の犬が軽やかに進行し大量の車を先導、病院に戻ると早速いちわの時と同じ居間へ三人で入室、いちわは目の前で起きていることよりも残りのクッキーが気になる模様、それから、


明けたら、暦は元旦。

各務原より、岡崎、東京、水戸と遠征し、今日ひとまず岡崎に戻る。
母親にmacbookを勧め、いろいろとデータを移し、セットアップをする。
skypeとかも。
孫を映像で見せてあげられないことで、
ポイントポイントで帰省しないとなぁ、という思いにかられるんだけど、
見せたら見せたら、それが助長される、という話も。さもありなん。

ところで、今日は、元旦だ。
ここ数年の恒例の通り、
大晦日は夜の11時30分くらいに眠りにつく。
年を跨ぐ現場に居合わせることに高揚感を覚えていたアノ頃と今では何かが違う。

昨年の恒例のアレを箇条書き程度に。
・とにかく、本を読まなかった。特に小説を。反省点。
・ドクターの審査を受ける。問題なければ、数ヶ月後、飽和状態にあるというポスドク期へ。
・イチワの行動が面白すぎる。ぷりぷり県のツトムくんを想起せずにはおれない。
・羅針盤のソングラインというアルバムの終盤の、「ひとりのくにーソングラインー羅針盤」の並びに、ひたする胸うたれる。dcprgも、youtubeで公開されているライブを中心に聴きまくる。ということで、昨年は、音楽中毒にあった京都時代に、偶然が重なって耳に入ってこなかった、しかしながら00年代前半をものすごい濃度でもって駆け抜けていた(ことが窺われる)、二組の音楽に出会うことができた。だもんで、久々に音楽的にはアツい年だった。他によく聴いたのは、例年通り、ジムオルークとか、イチワもお気に入りになった空中キャンプあたり。
・中国の国際会議で何かの賞のfinalistに選ばれた。(北朝鮮との国境にも行ってきた。)
・岐阜5年目にして、初めて、関、美濃、高山、白川郷に行く。
・30になった。あの人や、あの人は、それと、あの人とかは、今頃どんな30歳になっているのだろう。

(追記)
リフティングの持続回数が十倍近く跳ね上がったこと。
ポイズンガールバンドのM1敗者復活戦のネタ。
「こんばんは、森進一です。クロワッサンが大好きです。」
iPhone購入。

今年の目標。
何としても新しい研究を軌道に乗せる。

批評性の無いサンプリング

m1を見た。
ここ数年では一番笑ったのだけれど、
また優勝したのは「巧い人達」で、
ついでに言うと、
これは最近漫才を見ていていつも思うことなんだけれど、
優勝の時のネタは、
2004年時に優勝したアンタッチャブルのネタの構造なりボケが
至るところに、露骨なまでに、散りばめられていて、

「笑いのデータベースを積極的に活用し、上手にアレンジするものが勝つ」という流れがここ3年続いていることで、

これは何とかしないとな、と思ったりする。
無自覚にサンプリングするだけでメタ参照的な姿勢のかけらも感じられない。
そういう動物化するポストモダン的な批評性は、
m1の時間的切迫の中では単なる冗長性としか作用しない、という空気を感じる。

ところで、私は、ノンスタイルとキングコングに対して、
心が全く開けないために、
彼らの漫才の中で笑いがドッカーンドッカーン来ていても、
単なる遠い会場から漏れてくる雑音としか処理できなくなる、
という、重たい症状を抱えているのだが、

昨日、
この症状と全く同じものを、
マコもずーっと抱えているという告白を受け、

二人で話し合ったには、
これは、一種の同時代性が原因ではないかということになった。

80年近辺に生まれた一部の人達は、
なぜだか、
『その資格が無いのに調子づいてる』感じ、あるいは、
『キャラが立ってないのに何かを演じようとする』感じ、あるいは、
『一生懸命頑張れば何とかなる』感じ、あるいは、
『みんなで協力して一つのものを作り上げる』感じ、
諸々に対して非常に敏感で、
かつそういう空気を感じる人達に対する許容性が極めて低い。

それは、
我々の世代に特有の、
何か特定のものにアツくなる感じに対して過剰なまで憎悪感(信頼性の欠如)に起因している。

研究所に行かねば。つづくかも。

好みの人選。

マリナーズがフィギンスに加えてクリフ・リーまで獲得の模様。
後は、ベイか、松井か。

平和な日々

ジャルジャルの鉄筋baseでの「配達ピザ」のネタをyoutubeで見て、
これを今年のM1のネタに持っていくつもりだなと確信し、
同時に、彼らは今年も決勝へ行けないことを確信したのであった。
長く続くかなスランプ。

この一週間ずっと研究所でD論の修正をしている。
学位論文ってものは、
特に審査員が熟読して accept or reject のチェックをするわけでもないから、
その執筆は非常に孤独な作業なのである。
仮に、これまでの投稿論文を適当に並べるだけでも、
おそらくは誰も気付かないし、文句も言われないだろう。
ということで、費用対効果的な視点に立てば、手を抜くのもアリである。
そんな度胸は無いから、
粛々と全体の整合性を勘定に入れながら、
細かい修正を積み上げていく。

これが結構時間がかかるんだば。
てな風に、
最近、衣はいろんな文章の語尾に「だば」をつける。
exampleを思い出せない。
よく対談とかで、学者さんは、
理論を支持するexampleを即座にいくつも引き出してくるでしょう。
あれっていつもすごいと思う。

D論は、本当は、本みたいにしたい。

「説明できないものは去れ」に対して如何なる代替的な表現手段を紡ぎ出そうか

一昨日、大きな(研究ではない)仕事が終わって、昨日はずっとぼ〜っとしていた。
次にやりたいこと(やるべきこと)があれこれ頭に浮かんでは消えを繰り返す。
次の大きな一手については封印する心づもりを既に固めているのだけれど、
その心づもりというものが客観的に見てもまともなもののように思えてきて、
それは経験的にいって悪くない徴候かと思う。

さて、突然自由な時間が生まれたものだから、
文章でも紡ぎ出すかと、ブログに向かったものの、
数行書いては消すを繰り返し、
あらためて、
「自由な時間」と「紡ぎ出す文章の量」との間に
単純な関係が成立しているわけではないことに思い至る。

事業仕分けの中で参加している人達の、
矢継ぎ早に応酬される、質問と回答の往復を見て、
説明能力至上主義的な嫌気を感じる。
あの戦場のような言葉のやり取りを見て熱くなった視聴者が、
内閣の支持率を支えているということであれば、

さらに、その視聴者の熱さを無意識的に支えているのは、
「理路整然で意味的にも時間的にも冗長性の無い言葉を紡ぎ出すことが、一般的なコミュニケーション能力の最上位に位置する」
というような数量的な評価軸であるような気がする。

どう冷静に見たって、
あれは、一種の特殊的な状況においてのみ有効な専門能力で、
本来の(僕とあなたの濃密な)コミュニケーション能力からは遠く隔たっている、
というのが筋でしょう。

それでも実際、政治の世界というのは、
その特殊なラインに載れない者がバタバタと淘汰されていく世界なのだから、
それはそれは悲惨だよね。

学術の世界だって似たようなもんで、
最近もっと、
(例えば)このブログのような感じで論文を書けたらどんなにいいかと思うのだけれど、
そういうのは即切りされるらしいよ。

小説のようなものの書き出し

特筆すべきこととして、
25を越えた辺りから財布を(永久的に)紛失することが無くなった。
今でも一時的に財布を紛失することは、しょっちゅうある。

紛失場所リストは、ライフスタイルに依存して定型化してくるから、
ライフスタイルの変わり目というのは、一つの落とし穴となりやすい。

しかし、ここで引き出した一般論は、
果たして、引き続く議論にそれほど大きな影響を及ばさない。

車が、その起源的な本質において、移動台車であったことを確認すると、
車のすぐ外での時間というのは、たいてい、temporaryなモノの出し入れに占められる。

そうしたことが理由で、
車のフロント部分だとか、屋根部分だとかが、
荷物のバッファ的な空間として機能しやすい、という主張をする人がいたって、
(その人は)とりたてて文句を言われる筋合いはないだろう。

仮に、そのような主張をする会派のようなものが存在すれば、
私はその会派のメンバーの一人として活躍するだけの、それなりの理由を持っている。

(つづく)

迂回して再び戻ってきたそのズキズキしたものは。

昨日大きな山を越えた。越える少し前から激しい頭痛に襲われた。正に越えているそのときには頭痛はどこかに飛んでいった。越えてから前にも増して大きな頭痛に襲われた。

20代は誰にとっても過渡的であるから。

20代は意外と長かった、という感想。いやね、10代とか00代とかと比べるられるものではないでしょう。時間の流れ方の質がまるで違うから。それでは、この長いという実感は何か。その10年の間で、一度違う人間になって、それからまた違う人間になったとしたら、そんな展開が仮に存在すれば、それは極端に短いか、極端に長いか、だいたいそんなところだろう。

「自分の意志で強く制御しようとしているその有様自体に宿る制御不能性」が、凡庸なそれとは一線を画しているから。彼の場合。

 本当に長くつらい時期が終わったものだから、昨日は早めに帰宅し、衣と暗がりの中を一時間程散歩した。衣は、建物の陰に隠れていた月が再び現れるたびに、「あ、また、つき!!どでかのつき」と叫ぶ。ここ、1, 2ヶ月の衣の学習スピードは驚異的であり、こうも短期間で変わってしまうと、なるほど同一性という概念には、それ相応の疑念が投げ掛けられてしかるべきと思う。
 あと数時間後にはWSが始まる。自分の重要な基底が20代の中盤から後半にかけて、ぐいんと変質していった事実があり、その変化の中で、松井に対する好感が増してきたのは、何か、こう、非常に示唆的なことなのだ。従って、本来であれば、ichiroから離れていくのが筋なのかもしれないが、タイトルに書いたことが理由で、やはり目が離せないのだと思う。

靴下の上から左足のくるぶしの上の方を

やっと鼻水だけになって、全般的に怠い感じは消えたかもしれない。長かったよう。これのせいで、東浩紀が大活躍していたという先週の朝生を見ずに寝てしまった。videoとか誰かとってないですかね。昨日、車で帰宅途中、赤信号の停止中に、エンジンを切り、靴を脱いで、案外と強く、靴下の上から左足のくるぶしの上の方をカキカキしてから、靴を履き直し、さぁ、またドライブ状態に戻そうと思ったら、右足と左足に関するエンジン起動の手続きが全て吹っ飛んでいることに気付き、パニック状態に。「手続き的な記憶の取り出し」が、足の接触感と密接に関わった時間的なプロセスであるということに、気付く。

夢の中で贈られてきたアイロンに。

ここ何日か体調を崩していて、作業もすすまず。土日に発表資料を作る。さっきまでの夢の中で、一高の時に国語の先生をされていたクニイ先生と久しぶりにどこかの教室で会い、ちょっとした挨拶をして別れた後、2体のアイロンが意味ありげに贈られてくる。その一体の下面(押し当てる方の面)には「心を開けよ。開けるかな。開いていたかな。」なるメッセージが彫られていた。もう一体のメッセージは省略。夢の中の話だよ。ナイスなクニイ先生。一年に一度、職場で誰かとけんかみたいなことになる。特に、雨降って地固まることもなく、グニャグニャの土の上を、ズボンの裾をピチャピチャ汚しながら、華麗に走り回っている。

落としたものを、ちょっとした親切心のつもりで、拾ってあげると、衣は怒ってくる。「自分で」

私は大学受験時代、学校から帰って飯を食うと、すぐ寝て、1時くらいに起きて、母親がきついコーヒーを入れてくれて,5時くらいまでz会とかやって、寝て、遅刻して学校に行く、というのを繰り返していたような気がする。あるいは、私の記憶が、そこだけを典型的なフレームとして切り出しているだけで、実際には、そういう日は数える程しか無かった、という可能性だって、論理的には可能だけれど、実感に寄り添って誠実に語るならば、「高3の後半は、圧倒的にそういう風だった」。今、身体が、完全にそのときのことを思い出していて、最近やることがいっぱいあるもんで、そうしたいんだけど、子供がいるんでそういうわけにもいかない。それで、子供を寝かしつけるときに,一緒に寝てしまい、その時間が既に遅いもんで、普通の早起きとなってしまう。

将来に対する漠然とした不安が久方ぶりに。

昨日、家に帰ってきて、カレンダーをまじまじと見て、「実は今ものすごく忙しい時期であるはず(であってしかるべき)」ということが判明した。あれとこれとあれをいついつまでに仕上げていかないといかない。「であるはず(であってしかるべき)なのに何だこの遅々とした歩みは」という不安が一気に襲いかかり、余りにも眠たかったのですぐ寝て早起きした。普段がんばりが足りないことで、こういった時に、がんばれるのりしろが存在しているわけで、viva la 普段の頑張りの足りなさ。

常識的な時間感覚を前提にすれば。

文字通りユニクロ化する私をもうどうにも止められない。家着のみならずついに外着にまで進出しつつある昨今の現状を、例えば,10年前の私は、どのような眼で見るのだろう。果たして、10年前の私の眼からは、何もかもが見えていない。

前日入りまでしてのぞんだ結婚式で、思うこと

「なんで結婚式をやるのか」という問いを、自分の結婚式のときそれなりに深く考えたはずなんだけど、今では完全に忘れさられてしまった。先日参加した結婚式で感じたのは、「家族という制度」という流れに中立的な粒子となって飛び込む前の「最後の自分語りの儀式」というようなことであって、そこで放たれる「一人の歴史」の重厚さ、かけがえのなさに、出席者は否が応にも引き込まれてしまう。「一人の歴史」は、たいてい、驚異的なバランスで成立している。いい式でした。

京都下見

結婚式のために早朝起きて京都に着いた後で、明日だよって衝撃の告知を受けたもんだから、これはたまげたってことで、日程をどうにか一日動かしてもらえないかと思案したものの、それはやはりどうにも不可能だろうから、とりあえず懸案事項であった高安で5年ぶりの「唐揚げ定食」食べて、それからは、犬がかつての縄張りを確認するように、恵文社行って、二番目に(三人で)住んだところ(一乗寺)から、叡山電鉄の沿線を南下して、鴨川を歩いて、三番目に(二人で)住んだところ(丸太町河原町)を通って, 四条からバスで駅に戻った。迷ったけど、泊まらず岐阜に戻った。明日、また早朝起きる。

2009-10-04

tortoiseの新作ってどんな感じですかと問われたら、「tortoiseから木琴だか鉄筋がなくなった感じ」と言いたいところだが、本当にそのようなものらしい。うむ。それで何か違う見通しが開けたかというと、単に多少劇場的になって、ロック的なノリが増えたりして、、。あらためて、あの木琴だか鉄筋だかが「tortoiseらしさ」に対して果たしていた役割の大きさに思いを馳せる。

2009-10-02

先日、渋谷のツタヤでなんとなく借りた羅針盤の「ソングライン」にひたすら聴き入っています。
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