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「説明できないものは去れ」に対して如何なる代替的な表現手段を紡ぎ出そうか

一昨日、大きな(研究ではない)仕事が終わって、昨日はずっとぼ〜っとしていた。
次にやりたいこと(やるべきこと)があれこれ頭に浮かんでは消えを繰り返す。
次の大きな一手については封印する心づもりを既に固めているのだけれど、
その心づもりというものが客観的に見てもまともなもののように思えてきて、
それは経験的にいって悪くない徴候かと思う。

さて、突然自由な時間が生まれたものだから、
文章でも紡ぎ出すかと、ブログに向かったものの、
数行書いては消すを繰り返し、
あらためて、
「自由な時間」と「紡ぎ出す文章の量」との間に
単純な関係が成立しているわけではないことに思い至る。

事業仕分けの中で参加している人達の、
矢継ぎ早に応酬される、質問と回答の往復を見て、
説明能力至上主義的な嫌気を感じる。
あの戦場のような言葉のやり取りを見て熱くなった視聴者が、
内閣の支持率を支えているということであれば、

さらに、その視聴者の熱さを無意識的に支えているのは、
「理路整然で意味的にも時間的にも冗長性の無い言葉を紡ぎ出すことが、一般的なコミュニケーション能力の最上位に位置する」
というような数量的な評価軸であるような気がする。

どう冷静に見たって、
あれは、一種の特殊的な状況においてのみ有効な専門能力で、
本来の(僕とあなたの濃密な)コミュニケーション能力からは遠く隔たっている、
というのが筋でしょう。

それでも実際、政治の世界というのは、
その特殊なラインに載れない者がバタバタと淘汰されていく世界なのだから、
それはそれは悲惨だよね。

学術の世界だって似たようなもんで、
最近もっと、
(例えば)このブログのような感じで論文を書けたらどんなにいいかと思うのだけれど、
そういうのは即切りされるらしいよ。

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